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新型 台直鉋  42㍉

 
短い鉋刃だから、刃の真上から押さえられる台直し鉋
削ろう会の競技を見て、驚いたことがあります。
薄削り競技で披露される削りは、確かに見事です。薄く、長く、途切れない削り屑が舞い上がる光景には、誰もが技術の凄さを感じるでしょう。しかし、そこで見えるものを、そのまま「正しい鉋技術」として受け取ってよいのだろうかという疑問も生まれました。その一つが、台直し鉋です。
使われている台直し鉋を見ると、鉋身の穂が非常に長く、手のひらに収めて上から押さえることが難しい形をしています。あれでは鉋身を直接押さえるのではなく、鉋台そのものを握って使うしかありません。台直し鉋は、鉋台の下端をわずかに削るための道具です。大きな力よりも、刃先の真上へ安定して力を伝えられることが重要です。それなら、穂を短くして手のひらに収まるようにした方が、刃先の位置を感じやすく、押す力も安定するのではないでしょうか。ところが、昔から長い形で作られてきたという理由だけで、その長さの必要性はほとんど問われません。競技に参加する熟練者が使っている姿を見れば、初心者は「これが正しい台直し鉋なのだ」と受け取ります。
ここにも、「見て学べ」の危うさがあります。
SNSで披露される裏押しにも、同じ疑問を感じます。熟練者の手の動きだけを見て、その意味や力のかけ方を理解しないまま、外見だけが技術として広まっていく。見る人に良し悪しを判断する基準がなければ、優れた技術なのか、単なる個人の癖なのか、あるいは改善できる方法なのかを区別できません。それにもかかわらず、見る側は「有名な職人がしているから正しい」と考え、自分の理解不足を疑わないことがあります。これは学習というより、権威ある動作の模倣になってしまいます。
以前、裏出し機を使う方法を勧めたところ、「俺は絶対に間違わない」と言われたことがあります。しかし、人が手で行う以上、絶対に間違わないということはありません。道具や治具を使う目的は、職人の能力を否定することではなく、人の感覚だけに頼ったときに生じる誤差を減らし、結果を再現しやすくすることです。「自分は間違わない」という自負が強くなれば、新しい方法を試し、従来の方法と比較する必要がなくなります。そのとき、技術は完成したように見えて、実際には進歩を止めます。
削ろう会には、技術専門校などから参加する若い人も多くいます。そこで、ガラスの平面にペーパーを置いて鉋台を調整する姿を見かけることがあります。ガラス面やペーパーを使うこと自体が、すべて間違いだということではありません。目的と条件を理解して使えば、一つの加工方法になります。しかし、なぜその面を削るのか、どの部分を残すのか、全面を平らにすることが本当に正しいのか、下端の接触点が削りへどのように働くのかを理解しなければ、単に平らに見える面を作るだけになります。技専校の生徒が会場で見た方法を、そのまま正しい技術として持ち帰ったとすれば、それは誰が検証し、誰が修正するのでしょうか。
全国大会の会場には、各地の職人、鍛冶屋、販売店、愛好家が集まります。年に一度、顔を合わせ、道具を見せ、話を交わすことには大きな価値があります。技術を披露する場所があり、鍛冶屋と使い手が交流できることは、決して悪いことではありません。しかし、その心の触れ合いが、いつも技術の検証につながるとは限りません。長年の知り合いであること、著名な鍛冶屋の銘があること、薄削り競技で実績を持つことが、道具や方法の正しさまで保証するわけではないからです。親しい関係があるほど、疑問を口にしにくくなり、改善点を指摘することが相手への批判と受け取られる場合もあります。
薄削りの結果には、研ぎの技術だけでなく、鉋台の調整、刃口、木材の状態、湿度、削る方向、事前の準備など、多くの条件が関係しています。表に見える一回の削りだけでは、その結果を生み出した全体の仕組みは分かりません。「技術だけではない仕掛けがある」と聞いたとしても、それを直ちに不正と考えるべきではありません。競技には、道具の作り方や材料の選定、会場への適応を含めた準備があります。問題は、その条件が説明されないまま、目の前の薄い削り屑だけが「職人の腕」として受け取られることです。
同じ実演を見ても、受け取る内容は人によって大きく違います。初心者は、削り屑の薄さだけを見る。経験者は、刃の研ぎや鉋台を見る。さらに考える人は、材木の状態や調整方法を見る。そして仕組みを問う人は、なぜその結果が出たのか、別の人にも再現できるのかを考えます。つまり、「見て学べ」という教育は、見る人の知識、経験、観察力、疑問を持つ力によって、学べる内容が大きく変わります。
優れた人は、説明されなくても技術の核心を読み取ります。しかし、多くの人は表面の動作だけをまねます。さらに、誤った方法であっても、有名な人が行っていれば正しいものとして広がる可能性があります。それでは、技術の継承を、偶然現れる「見抜ける人」の能力に任せることになります。競技は、結果の優劣を示す場所です。しかし教育には、結果だけでなく、そこへ至る過程の説明が必要です。なぜこの台直し鉋を使うのか。なぜこの長さの鉋身が必要なのか。裏押しでは、どこへ、どの方向に力をかけるのか。裏出し機を使う場合と手作業では、結果にどのような違いがあるのか。ガラス面とペーパーを使う目的は何か。薄削りを成立させる条件は何か。
その方法は、一般の木工作業にも必要なのか、それとも競技に特化したものなのか。これらを言葉、図、数値、比較試験によって示さなければ、見る人は自分の限られた知識で解釈するしかありません。削ろう会が多くの人を引き付け、鉋の凄さを伝えてきた功績は大きいと思います。しかし、技術の凄さを見せることと、技術を正しく教えることは同じではありません。薄い削り屑に驚き、それを名人の技として仰ぐだけでは、次の人が育つとは限りません。むしろ、「自分には到底できない」と感じさせ、鉋を一部の人だけの道具にしてしまう可能性もあります。
必要なのは、技術を神秘化することではなく、分解して伝えることです。
何が正しく、何が個人の工夫で、何が競技特有の条件なのか。どこまでが基本で、どこからが熟練なのか。失敗したときには、何を確認すればよいのか。それを学べる教育の制度が必要です。「見て学べ」「失敗して学べ」だけでは、見る人の見識によって、正しい技術にも、誤った模倣にもなります。削ろう会で感じた驚きは、薄削り技術の凄さだけではありませんでした。これほど多くの職人、鍛冶屋、販売店、技専校の生徒が集まる場所でありながら、技術を検証し、説明し、次の人が再現できる教材へ変える仕組みが、まだ十分に見えないことへの驚きでした。競技の次に必要なのは、教育ではないでしょうか。名人の結果を見せるだけでなく、その結果が生まれる理由を開き、誰もが学べる形にする。それができて初めて、削ろう会は技術を競う場所から、鉋文化を次の時代へ渡す場所にもなれるのだと思います。
 

  • 新型 台直鉋  42㍉

  • 販売価格

    17,600円(税込)

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