A 9 道具屋の独り言 |
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昔の鉋づくりのお話 |
~今からそんなに昔じゃない、昭和のころまで~
まだ電気がどの家にもなかった時代。鉋(かんな)の刃は、火で真っ赤になるまで熱してから、ハンマーでトントンと叩いて形を作っていました。 「赤める(あかめる)」係の人が鉄を熱し、それを別の人が「たたく」係として鍛えていく──まさに二人三脚の手仕事です。 その頃の鉋刃は、今のものよりずっと薄かったのです。なぜなら、刃を厚くすると、削るための成形や裏出しが大変で、研ぐ人(研ぎ師)にとっては手間が増えるからです。だから、薄くしておくのが、当たり前の作り方でした。 鉋の台(だい)も、今のように機械でスパッと切れるわけではありませんでした。丸ノコなんてない時代ですから、木を割って、鉈(なた)で削りながら鉋台を作る。そのくらいの手間がかかっていたんです。 そうやってできた鉋台に、職人が自分の使い方に合わせて刃を差し込み、「仕立て」をしてからやっと使えるようにする──つまり、買ってすぐ使える鉋なんて存在しなかったんですね。 ところで、みなさん「昭和」は昔のことと思っていませんか? でも、昭和100年は今年(2025年)です。そして今お話ししているような鉋作りがまだ行われていたのは、昭和39年(1964年)ごろまでのこと。つまり、ほんの60年前まで続いていた“最近”の話なのです。 道具は“便利に”はなった。でも“進歩”と言えるのか? たとえば、世界で最初に売られた「中砥石(なかといし)」は、「キング砥石」という名前で売り出されました。時代はちょうど、インスタントラーメンが初めて登場したころ。便利なものが次々に生まれていた時代です。 のこぎりの柄(え)も、昔は職人が2枚の板を貼って、自分の手になじむよう鉋で削って作っていたんです。鑿(のみ)の柄も、東京の職人たちは「足踏みろくろ」で一本一本削り出して作っていました。それが、新潟の三条や兵庫の三木といった産地では、早くから機械化が進み、今のような形になっていきました。 鉋や鋸(のこぎり)などの道具が量産され、値段も安くなったことで、誰でも買える道具になりました。鋸の刃と柄を別々に売って交換できる「替え刃式」のアイデアも、おそらくこの流れから生まれたのかもしれません。 進化と、進歩はちがう 道具はたしかに「進化」してきました。使いやすくなり、手に入れやすくなり、効率も上がりました。でもそれは、「進歩」と言えるのでしょうか? 手間をかけて作った道具、じっくりと仕立てて育てた鉋、その道具に対する思いや工夫が、だんだんと見えにくくなってきているようにも感じます。 便利さの影で失われたものは何だったのか。 それを考えることが、今、鉋という道具をもう一度見直すきっかけになるのかもしれません。 補足(技術的な注釈): 昭和39年は1964年で、東京オリンピックの年。 「キング砥石」は中砥として初めて大量生産され全国に流通した砥石で、DIYの広がりに大きく貢献した。 「替え刃式鋸」は柄を再利用できるという点で合理的な進化だが、使い捨て文化の入口になったとも言える。 |
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素人が宮大工に現在の鉋を教える |
「鉋(かんな)は職人の道具」──そう思われがちですが、近年では素人や子どもでも扱える、新しい仕組みの鉋が登場しています。これは、仕立てや裏金合わせといった複雑な作業を省き、誰でもすぐに削れることを目指したものです。 従来の鉋は、「削る」前に「仕込む」必要がありました。刃の出具合や裏金との関係を繊細に調整しなければならず、これは長年の経験を要する技術でした。しかし、現在の鉋の中には、裏金を使わずとも逆目を抑え、簡単に刃の調整ができる構造が開発されています。 それにより、これまで“道具を使う”以前に必要だった“道具を仕込む”という工程が大きく変わりつつあります。つまり、鉋を「作る」側の工夫によって、「使う」側の敷居を下げる時代がきたのです。 こうした新しい鉋の仕組みを、宮大工のような伝統技術の継承者にもあえて“素人の視点”で説明する──そこに、技術の転換期の意味があります。道具の本質は「誰が使っても削れること」。そのための仕組みが、今まさに変わりつつあることを、世代や立場を越えて伝える時代に入っています。 |
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刃と台が語り合うとき |
鉋刃は、クサビのように斜めに差し込まれます。その際、押え溝と刃が直接触れ合うことがないよう、微妙な角度と空間を持たせながら仕込むのが職人の知恵。けれど、刃口からおよそ15ミリほどの部分だけは、ややきつめに仕込まれていて、そこだけは抜けぬように支えています。 このわずかな「きつさ」が、削りの微調整を可能にする。 それは一気に決める仕込みではなく、少しずつ、少しずつ――使いながら育てていく、そんな感覚に近い。 玄翁(げんのう)で「コン」と叩けば刃が抜け、「コン」とまた叩けば刃が進む。削るごとに呼吸を合わせるように調整するその姿は、まさに“技術”という名の対話です。 この繊細なやりとりは、実は日本刀の小刀と鞘にも通じます。 小刀を鞘に納めれば、逆さにしても落ちない。けれど、鞘の中で刀身と鞘は直接触れていない――それが、錆を防ぎ、長く刀を守る知恵となっています。 鉋もまた、刃と台が互いを尊重しあうことで、本来の性能を発揮するのです。 この技術、この感覚。 台仕込みの専門職人だけでは到達できない「使いながら育てる」世界。 それこそが、日本の道具が持つ深い美しさなのです。 |
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「鑿」や「鉋」は、いまどう使われているのか? |
鑿(のみ)や鉋(かんな)という道具は、長く使っていくうちに刃がすり減っていきます。そこで本来は、柄や台を入れ替えながら、使い続けるのが一般的でした。つまり、入れ替えることで「使い潰す」ことができたのです。 ところが最近、兵庫の三木市や新潟の三条市といった伝統的な道具の産地でさえも、「柄や台の入れ替えをしたい」という声が、ほとんど聞かれないというのです。いったい、どういうことなのでしょうか? 実は、誰もはっきりとした理由を知らないのです。 一方で、替刃式の鉋という道具もあります。これは、刃が研がれずに交換されるので、刃が短くなることもありません。しかし、こうしたタイプの鉋でも「台入れ」は一切されていません。 では、今使われている鑿や鉋はいったいどのくらいの量になるのでしょうか。 学校の技術の授業、DIYの愛好家、家具職人、建具職人、そして大工さんまで。実にさまざまな現場で、それぞれの用途に応じた多くの道具が使われています。その数は、相当なものになるでしょう。 まさかとは思いますが、これらの道具、使い捨てになっているのではないでしょうか? 私たちは、古くから受け継がれてきた道具の文化を、知らず知らずのうちに手放してしまっているのかもしれません。 以上、道具屋の独り言でした。 |
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なぜ、鑿、鉋の仕込直しをしないのか |
「入れ替えは職人の仕事」=自分で頼むのは恥ずかしい? 昔は、道具の手入れや入れ替えは、道具に対する「誠意」や「腕前の証」とされてきました。しかし今は、自分で入れ替えられないことを「技術がない」と思われるのが恥ずかしくて、あえて口にしない…そんな心理もあるかもしれません。 つまり、 「台を入れ替えてください」と頼むことが、「自分は仕込めません」と言っているようで、どこか引け目を感じてしまう。 このような「職人のプライド」が邪魔している可能性は考えられます。 「新しい道具を買えばいい」=入れ替えは面倒? 大量生産とネット販売が進んだ今、道具の価格が相対的に下がり、「入れ替えるより、新品を買った方が早い」と考える人も増えています。 そうなると、わざわざ入れ替える手間や時間をかけようという意識が薄れます。 つまり、 「手間と時間をかけてまで直す必要はない」 という“効率重視”の考えが、背景にあるとも考えられます。 「教えてくれる人がいない」=知らないだけ? そもそも、「柄や台は入れ替えるものだ」と教わっていない人も多いのかもしれません。 特に若い大工やDIY愛好家は、使い方はネットで学んでも、「使い続ける方法」までは知りません。 つまり、 「入れ替える発想がない」 あるいは、 「どこに頼めばいいのかもわからない」 という「無知から来る無関心」もありえます。 「職人社会の閉鎖性」=外に頼めない? たとえば、道具を仕立てるには“なじみの道具屋”や“信頼できる台屋”が必要です。 しかし、現代ではそうした人脈や「つて」がないために、頼む先がわからない、頼みにくいという人も少なくないでしょう。 これもまた、 「道具の仕立ては特殊な人だけが関わる世界」 という“壁”があるように思います。 総まとめ(道具屋風に言えば…) 「壊れたら捨てる」文化が、「直して使う」心を消しつつある。 頼むことは恥じゃない。道具に愛着を持つことこそ、道具を使う人の誇り。 でもそれを“教えてくれる人”も、“頼める場”も、今は見えにくいのかもしれませんね。 |
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技は“盗め”という教えの落とし穴 |
昔から職人の世界には、「技は見て盗め」という言葉があります。たしかに、言葉では伝えきれない“感覚”や“勘どころ”を、目で見て体で覚えることは、大切な修行の一部でした。 しかし、ここで考えてみたいのは「道具の仕立て」や「修理」といった部分です。柄(え)や台の入れ替え方といった技術は、ただ“見ているだけ”では盗むことはできません。しかも、教える人がいなければ、当然、学びようもありません。 その結果、「柄や台の仕込み方がわからない」「誰に頼んでいいかわからない」といった状態が、現代の職人のあいだで当たり前になってしまっているのです。 なぜ職人の世界に“なり手”がいないのか? 今、「人材不足」や「なり手がいない」と言われる職人の世界。 でもそれは、ただ若者が興味を持たないせいではありません。 導き手がいない、教えてくれる人がいない、先が見えない。 そんな不安定な世界に飛び込む人が少ないのは、ある意味、当然のことなのです。 それでも、「これが伝統だ」「これが技だ」と誇りを語るのは、少し違うのかもしれません。 誇りを持つのは大切ですが、現状を見つめ、改善しようとしないままでは、衰退していくのも当然の結果だと、私たちは気づくべきではないでしょうか。 扱いやすい道具を考えるのは“進化”である たとえば、道具の仕立てができないなら、もっと簡単に使える道具を考えること。 これも立派な技術であり、進化のかたちです。 製造工程に違いがなく、何十年も同じ形を作り続けているということは、言い換えれば、「新たな技術が生まれていない」ということでもあります。 つまり、「伝統の継承」が「進化の停止」になっている可能性もあるのです。 回転寿司と同じ現象が道具の世界にも? かつて、ベテランの寿司職人たちは「回転寿司は邪道だ」と口をそろえて言っていました。 ところが今では、回転寿司は日本の食文化の一部として定着し、海外からの公式訪問団が訪れるような店にまで成長しています。 「簡単にできる」「誰でも扱える」 これは、質の低下ではなく、広がりと継続のための重要な要素です。 最後に 職人の世界でも、道具の仕立てが難しいなら、誰もが扱える道具を考案すること。 これは逃げではなく、未来をつくる行為です。 誇りを守るために、進化を止めてはいけない。 それが、今、私たちが気づくべき大切なことなのではないでしょうか。 |
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Q&A:職人技って、そんなに特別なものなんですか? |
たしかに、職人の世界には「すごい技」を持った方がいます。でも、その背景をよく見ると、そうした技を持つ人はほんの一部。にもかかわらず、業界全体がその“ごく少数”を基準にしてしまっているんですね。 例えるなら、「オリンピック選手と同じように走れないのは努力不足だ」と言われているようなものです。 Q:でも、すごい技があるってことは、本当に特別な才能が必要なのでは? A:もちろん、才能もある程度は必要かもしれません。 でも、それよりも大事なのは、「どうやって学ぶか」「どうやって教えるか」という仕組みなんです。 たとえば、自転車に乗ることを思い出してください。 小さい子どもが、最初から補助輪なしで乗れるわけではありませんよね? でも、補助輪をつけて、何度も転びながら練習することで、やがて乗れるようになります。 職人技も本来は、そのように“段階を経て身につけられる”ものなんです。 Q:じゃあ、なぜ職人技は「一部の人しかできない」と思われているんですか? A:教える仕組みがほとんどないからです。 昔の職人の世界では、「見て覚えろ」「盗め」といった教え方が当たり前でした。 つまり、「教えない文化」が長く続いてきたんですね。 そのため、今の時代に「削れない鉋を渡されても使えない」という人が増え、 結果として「自分には無理だ」とあきらめる人が多くなってしまったのです。 Q:ということは、本当は誰でも身につけられる可能性があるということ? A:そのとおりです。 必要なのは、「段階的に習得できる仕組み」と「失敗を許す環境」です。 五歳の子が補助輪なしで走れるようになるのは、親がつきそって、教えて、失敗させて、支えるからですよね。 それと同じで、職人技も“人にやさしい導き”があれば、もっと多くの人が身につけられるんです。 Q:じゃあ今の鉋は、なぜ削れないことがあるんでしょうか? A:それは、「削れるように作って売っていないから」です。 現代では、鉋が「仕立てられる前提」で売られています。つまり、「仕立ててくれる人がいること」が前提なんですね。 ところが、その仕立て方を教わる機会がなく、使い方の説明書もついていない。 買っても削れないというのは、使い手の責任ではなく、売る側の不親切でもあるわけです。 Q:では、これからの職人技や道具文化はどうあるべきでしょうか? A:職人技を“特別な人だけのもの”にしないことです。 誰でも学べる道を作り、削れる鉋を最初から提供する。 必要なら補助輪のような工夫をする。 それが「道具の未来」への第一歩です。 |
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