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A 0 道具屋の独り言
 

組子製品の技術に驚きつつ、知ってしまった“もう一つの現実”
 
 組子製品の技術に驚きつつ、知ってしまった“もう一つの現実”
皆さん、組子細工をご覧になったことはありますか?
その繊細さ、精密さ、美しさには、思わず息をのむことでしょう。
実際、私もその技術の高さには心から感心し、長年にわたる技術の継承には驚くばかりです。
ところが最近、ある事実を知って、正直、少し呆れてしまいました。
それは――組子細工を作るために使われている「組子鉋(くみこがんな)」という特殊な道具に関することです。
この鉋は、刃先がV字型になっていて、繊細な溝を正確に削るために使われています。
ところがその刃は、鍛冶屋によって手作りされているにもかかわらず、驚くことに正確なV字には仕上がっていないというのです。
つまり、職人たちはその“不正確な刃”を、自分の手で何度も調整し、補正しながら、ようやく使える状態にしているのです。
言い換えれば、とても手間のかかる、厄介な道具を、今も当たり前のように使い続けているということになります。
そんな話を聞くと、「それでもあの完成度の高い組子細工を作り上げているなんてすごい!」と感心される方もいるかもしれません。
ですが、少し視点を変えてみましょう。
たとえば、自動車や精密機器など、他の発展している業界の方がこの話を聞いたら、どう感じるでしょうか?
「なぜそんな不正確な道具を、今でも使い続けているのか?」
「なぜ改良しようとしないのか?」
そう、その精神構造自体が理解できないと感じるのではないでしょうか。
しかもこれは、一部の職人だけの話ではなく、組子業界全体にわたる現象だというのです。
このような状況を放置し続けているとしたら――
それは日本の伝統技術の誇りであるどころか、ある意味では、恥ずかしいことなのではないか。
私はそう感じています。

組子職人に限らず、 
  「使いやすさ」を追求してこなかった木工職人の世界
確かに、組子鉋に限らず、一般的な鉋ですら「誰にとっても使いやすくする」ことが、本気で追求されてこなかったように思えます。
むしろ、「使いにくい道具を使いこなす」ことが“職人”の証とされ、道具側の改良よりも、使い手の努力と修練によって解決する文化が根強く残っています。
これは外の世界から見れば、「技術が進歩していない」「異常」と受け止められてもおかしくない構造です。
「匠の技」という言葉に対する違和感
日本ではそのような職人文化を、「匠の技」「伝統の技」として美化し、むしろ道具や技術が変わらないことを誇りにしている節さえあります。
しかし、それはある意味で改善を放棄し、進化を止めることでもあります。
世界では、ユーザー目線で改良され続ける道具が当然であるにもかかわらず、
日本では「昔ながら」の不便な仕組みを“ありがたく受け継ぐもの”とする価値観が根強く、
道具を「進化させる」よりも「継承すること」が尊ばれてきたのです。
 5歳の子どもが自転車に乗れる社会との対比
「5歳の子供が補助車もなく、自由に自転車を乗っていることが、むしろ驚き」
この言葉には深い意味があります。
つまり、自転車のような道具は、「年齢や経験にかかわらず、誰でもすぐに使えるようにする」ことを徹底して設計されているということです。
補助輪、バランス設計、素材、重量、すべてが「子供にも扱える」ように最適化されている。
ところが、日本の伝統的な鉋や道具の世界では、
「誰でも使えるようにする」という思想が抜け落ちている
それゆえに、長い修練が前提となり、「それができること自体が誇り」となる構造が維持されてきたとも言えるのです。


このような問いは、伝統を批判するためではなく、真に継続・進化させるための重要な視点です。
「伝統を守る」ことと「思考停止で何も変えない」ことは、まったく別です。
道具が変わることで、使い手が増え、技術が次世代につながるなら、それはむしろ“守る”ことにもつながるのです。
 まとめ(短く要点化)
日本の木工道具は「使いやすく」なることを意識してこなかった
他分野では改良が当然でも、職人の世界では「使いにくさ」を技術で克服する美学がある
「匠の技」という言葉で、不便さや旧来の形を美化してしまう風潮がある
本来は、5歳の子でも扱える道具こそ、優れた設計の証であるはず
「誰でも使える道具」への進化が、むしろ伝統を未来へつなぐ可能性を持っている

 
職人の恥ずかしい行為の中に 
 「鉋は簡単に使いこなせるものではない」
「削れないのは道具ではなく、使い手の技術が足りないからだ」
そんな考え方が常識のように語られてきました。
ところが現実には、自分が仕立てた鉋を子どもに手渡し、「誰でも削れるよ」と言って削らせている場面が少なからず存在します。
それは裏を返せば、
「誰でも削れる鉋を作ることは可能である」
という事実を、職人自身が証明してしまっているとも言えるのです。
「技術の神秘性」を守るための矛盾
本来、技術とは「再現可能な知恵」であるべきですが、
職人の世界では「技術の神秘性」が重視され、
それが「技術の伝承」ではなく、「選ばれた者だけの世界」にしてきた側面があります。
しかし、子どもが軽々と削れる道具が存在するならば――
それは
「不便な道具に、価値がある」という信念そのものを
静かに崩してしまう行為です。
 本当に恥ずかしいこととは?
技術を守るために、不便さや難しさを保持することが本当に正しいのでしょうか。
「誰でも削れる鉋」は、決して「技術の軽視」ではなく、
むしろ道具の改良という技術の進歩であり、
次世代への伝承を可能にする“新しい職人の仕事”とも言えるはずです。
「誰でも削れる鉋を子どもに渡して削らせる職人の行為には、恥ずかしさがある。
なぜなら、それは『できる』と分かっていながら、それを公に認めようとしない文化を象徴しているからです。」